32 2年が経った

前の更新から2年以上も経っている。歳を重ねるごとに時間のスピードはどんどん速くなるとよく聞くが、その通り。小さな変化はあれど同じ場所に毎日通い、同じような仕事を続けていれば1日1日の印象は薄れるのも当然。

2年前の日記を見て、いかに自分がやられていたかを思い出しそのやたら刺々しい書き方に気恥ずかしい思いもある一方、今の状況がそれにも増して悪い、ということをここに書こうかどうしようか、ずっと悩んでいた。

気力というのはどこから湧いてくるものなんだろう、ここ2年、気力が本当に湧かない。休みは休みで疲れがたまり昼過ぎまで寝るし、仕事のことばかり考えて午後は憂鬱で、あんなに好きだった本なんかほとんど読めていない。身体の調子もよくなく、全く食事ができなくなり体重を大きく落としたり、明るくなるまで眠れなくなったりもした。とにかく会社、友人、仲間の前では明るく振舞おうと思ってはいる。つらい、つらいと言いながら会えばみんな元気そうだと言ってくれるけれど、家に帰るとすぐ横になってしまう。本当に無気力な状態がずっと続いている。

しかしこの無気力状態は一体なんなんだろう。会社がブラック企業で…というわけでもない。確かに労働時間はやたらに長いけれど、サービス残業しているわけではない。

ものづくりの仕事というのは時間制限いっぱいまで何かをし続けないといけない。それは理系のどんな仕事でも同じだと思う。必然的に労働時間は長くなる。好きなことをやっていれば時間は過ぎていくもの。これは逃れようのない事実。

理系の進路選択というのは、研究の内容の延長線上にある仕事につく、というのが一般的だと思う。ただ理系と言っても専門分野は山ほどある。そんな中で、大学院にまで進んで行った時、一体何割の学生が本当にやりたいこと、楽しくて楽しくて仕方ないことを研究しているのだろう。

世の中には細かく分野を決めて進む故、理系人はそれを好きでやっているという認識があると思う。では例えば建築学科があるとして、建築家かっこいいなぁという入口に対して、建築家になるという出口がいくつ用意されているか。下手したらそんなものは一つもないかもしれない。でも高校生がそんなことまで考えて学部学科を選んだりはしない。大多数の学生は大学に入ってからどこかで妥協している。それでも逃げられない進路選択のアミダくじの中で、自分が取るとしたら一番安全な選択はどれか、今までの積み重ねを最も無駄にしないことは何なのかを考えながら就職先を決めていくというのが現実だと思う。

就職活動の季節がまたやってきた。学生のOB訪問を受けることもある。私は会社のまわし者ではないし、この会社に入れば幸せな人生が待っているとは必ずしも思わない。いち先輩として、話せることは話したいと思い接している。少なからず同じ境遇の学生がいるのなら、そんな学生にはあまり学んでしまった専門性には拘らず仕事を探して欲しいし、まわりの期待とかそういった意見で自分の考えや感覚を変えてしまわないように願うばかり。少なくとも自分の無気力の原因はそこにある。その仕事自体に喜びを見出せなければ、専門性の高いエンジニアとしてやっていくのはなかなかつらいことだと。たくさんあった分かれ道を「自然だ」と思う方へ進んだ自分の考えのなさが今自分を苦しめている。本当は「世間から見て自然だ」ということに意識をまわさなかった。どんどんずれて、ぼやけていく将来でも、それまでの積み重ねを壊すことだけはこわくてできなかった。

今年は本当にそういう過去の選択も含めて、自分の人生に折り合いをつける年だと考えている。どうしたいのか、何がしたいのか、難しいけれどもう最後の年だと思う。とにかく、学生の就職活動に関しては、私はライ麦畑のキャッチャーのように振舞えればいいなと思う。