005 それが正しい、と思うこと

今日は区切りが良かったので勉強をしない日と決めた。
しかし、勉強すれども成績はグンとは伸びず。じわりと。時間がないのでこれからはもっとペースアップを。

昨日の夕方、シーラカンスk&hの工藤さんがテレビに出ていた。
学生の頃小学校の設計の授業(あの時の設計はゴミだったなぁ)をやったとき、CAtやCAn、小泉さんも含めシーラカンスの設計をよく見ていた。

オープンスペースを持った小学校。新しい小学校のはしり。
奇しくも計画の勉強で、オープンスペースページを開いていた。
フレキシブルな教室。壁もないので、廊下も含めて自由に使える。活動が連鎖して、より活動的な、いきいきした学校になる。

と、いいことずくめではなく、普通の廊下、教室がある教室に比べると、落ち着きがないとも感じるし、低学年等教室でそのまま音楽をやる学年に至っては普通にうるさいだろう。なによりも、運営面で相当な教員側の負担が増えるだう。親が教員だから、教員が何を言いたいかわかる(テレビでもそうだった)。
「使いにくいのではないか。」
実は自分も少しそう思っていた。学生の設計課題なんかは、アクティビティやらコミュニケーションやら、それらしい言葉が並んでいるが大体は言ってるだけ、である。それが学生だ!というわけでいいのだが。
実際の学校ではやはり使いにくいというのは大きな問題。建築家に求める物が単純な機能ではなく、細部まで行き届いた唯一無二のデザインならば、使いにくくても使いたい。という需要が生まれるけれど、先生達には使い方が大事なのです。うまいこと教育を建築側にアジャストすることができればいいのだけれど、そこまでする必要性とかを考えてしまうのでしょうね。

小学校なんて勉強できるヤツはしなくていいし、出来ないヤツもしないので、どんな校舎で、どんなことをして6年を過ごしたかっていうことの方が大きくなったときに意外と意味をなして来るような気もする。子供の頃の記憶は時が経つに連れてどんどん美しく上書きされると思うので・・

まあいい悪いは全く関係なく、ただ、自分が正しいと思ったことを言葉を選びつつ、時に冷静に、時に熱を持って語る工藤さんの姿が、非常に頼もしく写った。
会社というのはどこでも利益第一で、お客様あってである。お客様のニーズに誠心誠意おこたえする。
では、そのお客様がとんでもない大バカで、しょうもない建築の発注をしてきたとき、どうなるのか。大体は建つのです。
大学で学んだ建築は、時に社会にも影響を与える強さを持っていた。
社会において建築に携わる人も、その認識と自負を持つべきだと思う。
そんなことを思った日曜の夕方。