30 年度末に思う

平成22年度も終わり。下期、超おしゃれにいうならば2011-12AWは半分を研修で現場で過ごした。1月から3月までの現場研修は始まる前は正直面倒で、最初の1週間は本当にここで3ヵ月も過ごすのかと死にたくなったが、家からも近く、超閉鎖的でお客さんとして迎えられた立場としてはこれ以上楽しいものはなく、あっという間に終わってしまった。建物をつくる手順も曖昧なのになぜか一級建築士で、現場に出て超真顔で指示とか出している立場からしてみれば勉強になる3ヵ月でもあった。まあ、心身ともにリフレッシュしたわけで、正直月曜からの本業復帰が恐怖でしかない。あぁ・・

FBやtwitterではまだ大学にいた同級生や後輩の卒業の知らせを見る。みなさんおめでとう。これからはともに悶絶する仲間です。もうこれで大学には知り合いは数名しかいなくなる。ちょっと大学との距離が離れてしまうようでさみしい。
働き出せば出すほど、大学という組織の社会的な位置づけについて考えてしまう。というか、充実した自分の大学生活6年を簡単にいやあ意味なかったとは言いたくないのです。けっこうみなさんそういうので。

ネット上では今年は立教の総長の祝辞が話題だった。

自分は行動力のない人間だと思う。そしてそこから生まれる回避能力は結果的に非常に堅実な人生を生み出しているのだけれど、実に面白みがない。普段なら、やらずに後悔するよりもやって後悔した方が・・・と聞いても、ぷっ、やらなくて後悔しないってものあるからそれがいいだろ!と言いたいところだけれど、ひねくれてもしょうがない。でも、少しくらい、考えて、考え込んで、ぅぅぅとなって一見停滞している状況を肯定する世間があってもいいじゃないか。

大学で学んだことで、自分が社会的な異物であることを選んだことを認識し、時代との齟齬を大切に生きる。救われる思いですよ。「大学の存在意義は考えること」「考えることの社会的意味を否定する気分の醸成」 考えるよりまず行動、行動力が物をいう世の中。それもいいんだけれど、全員そうでなくてもいい。

大学の意味はちゃんとある。世の中、監視者がいるからこそ、流れを遅くする人がいるからこそ正常に動く。新しい社会人には、この「同時代との齟齬を大切に」という言葉を伝えたいし、自分も心におきながらやっていきたい。いい意味で大学生気分は残してもいい。気楽に行こうよ。

大学に戻ることをいずれ真剣に考えたい27歳。←行動力なし