013 謝ったもん勝ち

さて、本当に夏休みも終わりです。こんな日にもサザエさんは放送されるのでしょうか。フ◯テレビ社員は半笑いでお茶の間にサザエさんを届けるのでしょうか。

気付けば、今日は65回目の終戦の日でした。
昔から、戦争に関しては思うところがあります。
広島や沖縄には何度か行ったこともあります。靖国神社もどんなもんじゃと見に行ったことがあります。この話は長くなります。またいつか。

うろ覚えですが、首相が併合時代から日本にあった韓国の貴重な資料を謝罪とともに変換したというニュースがありました。
しかし、このニュースに対する反応の中には、謝罪に対する批判も多々あったように思います。
「もう解決済みの問題だ」
本当にそうかな。と、思います。
戦争とは、リングに1対1で上がって闘うものではありません。国家というくくりはあるにせよ、直接何も関係ない人を憎み、全く対応しない報復を繰り返すものです。そんな状況に加害も被害もない。全ての自国の行為に、全ての国が責任を持たなければいけないと思います。
未だに原爆投下の正当性を犠牲者の数字で示すアメリカも、謝るという行為を避けています。
謝罪をしろ、という色々な立場からの声も、一旦落ち着いて考えるべきかと思います。
謝れ、謝ったなど、そんな口先だけの意地の張り合いは実に下らない。
必要なのは、今後続く世界の中での国のあり方、態度だと思います。
誰も謝らないならまず先に頭を下げてみればいい。

正しいことなんかはほとんどない。だからこそ潔く謝罪し合ったところから始める爽やかな関係が必要なのに、65年経っても世界はまだそれを築けずにいます。

そして、対外的な話をする前に、自国の問題として戦争論が全くまとまらない日本も、まだまだ一流ではないなと、残念ながら感じてしまいます。