014 社会人になる資格

金曜の夜はなぜこんなにも平和なのでしょう。とりあえず休めるという安堵感を求めて、人が少なくなったオフィスを流れに任せて出てはみたものの、月曜に危険な状況がやってくることは目に見えています・・

最近、幸か不幸か飲み会が多い。学生と社会人が混じりあう非常に不安定な状態の飲み会ばかりゆえ、結構真面目な話になります。
世の中で建物ができていく仕組みをぼんやりと知りつつある自分にとっては、何となくその仕組みの話なんかになるとにわかに饒舌になる感覚がして、おおいかんいかんと自制しています。ただ先に知っただけ。それを自慢のように話すことには何の意味もない。
夜中の3時にゴールデン街で、結局問題はなぜ生きるかということだ、と友人とはずかしげもなく語れるこの心持ちが、いつまでも続いて欲しいものです。
しかし、そういう飲み会で結構しゃべる自分が、急にぴたっと話さなくなる話題がひとつ。
「偉くなる話」
社会人なんて言っているけれど、ただの会社員だと誰かが言う。その発言、共感できる気がして同調したものの、趣旨が少し違ったようで。
世の会社員は、社会人と自称するくせに、社会のことなんか何も考えていない。だから社会人という言葉は信用できない。そう思う。ただ、だから社会人になるには世の中を真剣に考えて変えていかなければならないし、そのためには偉くならなければならない。偉くなる気がなければ、社会人になる意味がない。とつづく流れには全く共感できないのです。まわりの多くが最近そういう。
個人的には、偉くなろうなんて全く思わない。偉くなることばかり考えていると、結局偉くなることが目標になってしまう気がしてならない。
世の中をより良くしよう、という考えはすばらしいけれど、それはかなり個人的な感覚に頼ったものであって、裏を返せば自分が世の中をつくる中での不都合や障害は排除しても構わないということにもなりかねないし、偉くなることは結局そのための権利のように思えてしまう。例えば飲み会での誰かの理想が共有されることだって難しいのに、それを世の中全体に広げるためにはやはり数多くの敵と闘わなければいけなくなるのは明らか。
ではそういうとき、自分はどうしたいのかを考える。今は、社会とのつきあい方を考えている。最も理想的なのは、無責任に社会とかかわりつつ、勝手なことをする生き方・・・(笑)
自分もそんなにいい人ではないから言ってしまうと、戦争が起こらない限り社会がどうなっても痛みはあっても切実さを感じないし、社会を力で変えるために労力を使う人間に自分がなる必要もない。一度しかない人生、先の準備よりも今しかできないことをしたいし、他人のこと、世の中のことよりも自分のことを考えたいというのが本音です。余裕がないのかも・・自分のこともはっきりしないで、社会がどうあるべきなんて論じてもしょうがない。
そして、こんな事を言っておきながらもそうはいかないことはわかっていて、会社ではしっかりしないと、とも思っているわけです。
結局、自分でも明確な答えは出せない、というか、この先のこと、人生が、そう明確なはずもなく、その議論の答えを探しながらこんなところに書いていくしかないのが現状です。