019 ことばで伝える

翌日が休日の場合、定時以降はもはや休日とわかっていながら、逆に翌日が休みゆえ結局ずるずる仕事をしてしまいます。というかおわんね。

最近ラジオをよく聞きます。サイマルラジオ?よくわかんないけどradikoのおかげでラジオが身近になりました。まあ、これからは新聞も、ラジオも、テレビもいらない。ネットの時代だ!と誰かが言っていましたが、結局そのネットで新聞を読んだりラジオを聞いたり、テレビを見ていたりするのです。

テレビは視覚と聴覚を使うので、見ると決めたらじっとしないといけない。よっぽど見たい番組以外は見ない方が時間が有効に使えますね。その点ラジオは音楽と同じで、何となく流れていても気になりません。

伝える方も言葉のみ。言葉、というのは大切なものです。何をするにも言葉が第一位のコミュニケーションツールですから。同じことを伝えたくても、その人その人が持っている言葉で、伝わる内容は微妙に変化します。まあ、表情とか色々あるけど、それは置いといて。

ことばをうまく使える人になりたいものです。仕事に限ったことではないです。
最近、言葉だけでも泣けます。歌も、邦楽のすばらしさに最近気付きました。ってか銀杏BOYZってあらためて良い。いえ、セッ◯スとかオ◯ニーとか連呼しているのがいいのではなくて、大人にならざるを得ないことへの不安をガンガン感じるのです。社会に対する不満や憤りをぶつけてるとかもいわれますが、あえて自分のことも含めて言えば、不安で不安でしょうがない気持ちのあらわれなのです。
ただ、その不安や何となく感じる悲しさを払拭したいわけではなくって、それをかかえたまま歳をとりたい。
そういう感情の堆積物みたいな老人になりたいと思います。

楽しみにしていたオールナイトニッポンヒルクライムでした・・・もっとボキャブラリー豊富な人希望です。

今年の春はどこに行こうかww・・・春休みはもうないので会社です。

おやしみ

018 臨時更新

毎日今ごろ帰宅。
30分でも家でのんびりする。この時間は貴重。

アンソニーロビンズって誰?
「わたしたちの人生で手に入る結果は、これまで積み重ねてきた決断や行動によるものだ」
人の日記を見たら知らん人がコメントしていた。

そう思って頑張るならそれでもいい。
でも、そんなに世の中単純だったら、楽なもんだ。
そうでないから難しい。そうでないから面白い。

俺はこう頑張った。だから成功した。
努力を積み重ねていくことは、成功するための十分条件であって必要条件でない。

私は、膨大な人の数の人生が、全く偶然に決まり、混ざりあっていくから、この世で生きていることは面白いと、なぜか一段上から目線でみて満足しています。

おやすみなさい

017 今日は土曜

金曜の朝目覚めて、おお、これはきっと土曜だと思った。
だって9時半だったのさ・・・
半年たったがまだ慣れないことが多い。毎日帰宅は日付が変わるくらい。起床は6時。今週は週明けから異常に眠く、朝もキツかったのでそろそろヤバいかな、と思っていたけれど・・。
申し訳ございません。帰ったらお茶入れてテレビ見ずにもうさっさと寝ます。


家?寝るだけだからどんなとこでもいいよ。
↑こう言う人は嫌いです。


ところで、私、東京メトロのCMが異常に好きなのです。
新垣結衣も申し分なくかわいい。路線のロゴと駅名がでて、その土地のちょっとした見所を、人と人(時にはネコ)、文化とのつながりを、極めて自然に切り取っている。
※ただし、新垣結衣でなければ個人的にここまでべた褒めはしません。
あと、曲もいい。高橋優。まだ大々的にデビューしていないけれど、他の曲を聴いても良い。ここまでストレートに、この社会に生きることで生まれる格闘を叫ぶシンガーは最近いないのでは。最近本当に弱いので、こういうので泣いちゃいそうになります。

昔、卒業設計の大学合同講評会で、とある建築家が、
「君たちって最近のロックバンドみたいだよね。めちゃくちゃロックな格好してるのに、今日より明日が良ければいい、とか、愛があれば大丈夫、とか歌う。みたいな(笑)」
と言ったと思うのだけれど(これは名言だ!)、その最近のバンドやら何やらに汚染されているJ-POPにおいては良いカンフル剤になるのではないでしょうか。

さて、そんなJ-POPの主要汚染物質でありかつ最高のアイドル、最強のエンタテイメント、AKB48のあっちゃんこと前田敦子が出るQ10なるドラマですが、全部しっかり見まして、エンディング見てたらなんと曲が高橋優でした。手術台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会いよりも刺激的な出会い。ロートレアモンもびっくりです。

冗談はさておき、ドラマ主題歌になってからではもはや青田買いではないですが、タワレコヘごぅ。

016 "僕には"

どうやら他部署で伝家の宝刀、「最近の若いヤツの考えてることはわからん」が、でたようです。要注意。
ただまあ、重ね重ね言いますが老人が我々の考えていることがわかるようになったらもう人類は長くないでしょう。

さて。
自分でも結構本を読む方だと思っているが、よく人に指摘されるのは「昔の人ばっか。」大体20世紀の枠にはおさまっているが。
最近の作家を読まないのは、最近の文学はつまらないから。というと完全なるかっこつけである。たまたま読んだ本から次の本へとわたってきたので、どうしても現代にはまだたどり着けない。そして、最近の作家の話と言えば、まわりはみんな大衆文学作家なんだが、そもそも読書の目的がちがうので、あまり興味がない。
興味があるのは面白い話、泣ける話、考えさせられる話・・・とかそういうストーリーではなくて(そういった物は映画で見たい)、小説のところどころで読み取れる作家としての生き方に対するスタンスのほう。そういったものが得られるのは純文学の方だと素人読者の私は思っています。
ただそんなことを言いながらも最近の作家も少し読んでいて、その中で最も上手い(言い方が上からでしょうか)と思っているのは堀江敏幸氏。実は同郷、高校の先輩でもある。高校3年間で毎年、卒業生の講演会があったのだが、大体そういうのはめんどいと思う高校生の割には堀江氏の講演は面白かった記憶がある。
ちなみに、一番つまらなかったのはどっかの理系大学教授。これだから理系は人気ないんだな。
堀江さんの小説は、日常の何でもない出来事を中心に書かれていて、全体を通したテーマ設定が日常にほんの少し、色味をつけている(と思う。)。半エッセイ的小説も多い。待つということ、日常を生きるということ。思索にふける・・。日常の些細な出来事をつないでいく小説なのに退屈しないのは、表現の端々で感じられる作者の芯の通った意思が自分のこうありたい、という意思と通じるからだと思う。
日常を出来事だらけにして、人生を目的だらけにして日々生活している人とは自分は絶対に違う人種だと思っている。でも、やっぱりこれくらいの年齢になってくると人生に目的がないと、日常も何かしないと、という焦燥に駆られる人が多く、そこから外れることの心細さというのが自分にはまだある。
堀江氏のインタビューでのこの言葉
「日常は、地震計のように跳ねる大きな振動ではなく、遠くから見ると直線に見えるほどの小さな浮き沈みで成り立っている。それは退屈に見えるかもしれないが、僕には退屈ではない」
今の自分にまだ足りないのは、この"僕には"の強さだと思う。

こんな人が書く日記なので、大きな出来事はありませんが、まだ続けます。
病んではいません。これから飲みにいってきやす。

015 ウルトラマンの身長

今週は仕事で結構追い込まれて、解放された金曜の夜に口唇ヘルペス発症という切ない週末を迎えています。
残業代ごちそうさまです。

小さい頃はウルトラマンシリーズが大好きでした。多分造形技術が今よりも進んでいなかったから、逆に怪獣、宇宙人、あと超獣(ほかにも色々分類があるはず)の表面のテクスチャが異常に気持ち悪かったりして、怖がりながら見ていた気がします。
自分が大人になったから感じなくなったのもあるかもしれないけれど、最近のウルトラマンの敵はみんな小奇麗すぎておどろおどろしさがない・・。
とまあ、昔のウルトラマンシリーズを推してみたものの、そもそもそのシリーズの最終作(だと思う)のウルトラマン80でさえ80年からとったはずだから、全部再放送を見ていたわけですね。すいません。
記憶の片隅にあった、ウルトラマンの身長=40m。巨大だと思っていたし、実際ジオラマの街で闘うウルトラマンは倒れてビルを潰したり踏んだりしていた。
ただ、落ち着いて考えると、40mは現在でいう10階建てのビルくらい。自分のマンションより小さい・・
ちょっとセイムスケール的な感じでつくってみました。ヒマ人です。

時代の変化とは恐ろしいものです。現代の都市は、ウルトラマンにとっても闘いにくい街になってしまったようですね。

014 社会人になる資格

金曜の夜はなぜこんなにも平和なのでしょう。とりあえず休めるという安堵感を求めて、人が少なくなったオフィスを流れに任せて出てはみたものの、月曜に危険な状況がやってくることは目に見えています・・

最近、幸か不幸か飲み会が多い。学生と社会人が混じりあう非常に不安定な状態の飲み会ばかりゆえ、結構真面目な話になります。
世の中で建物ができていく仕組みをぼんやりと知りつつある自分にとっては、何となくその仕組みの話なんかになるとにわかに饒舌になる感覚がして、おおいかんいかんと自制しています。ただ先に知っただけ。それを自慢のように話すことには何の意味もない。
夜中の3時にゴールデン街で、結局問題はなぜ生きるかということだ、と友人とはずかしげもなく語れるこの心持ちが、いつまでも続いて欲しいものです。
しかし、そういう飲み会で結構しゃべる自分が、急にぴたっと話さなくなる話題がひとつ。
「偉くなる話」
社会人なんて言っているけれど、ただの会社員だと誰かが言う。その発言、共感できる気がして同調したものの、趣旨が少し違ったようで。
世の会社員は、社会人と自称するくせに、社会のことなんか何も考えていない。だから社会人という言葉は信用できない。そう思う。ただ、だから社会人になるには世の中を真剣に考えて変えていかなければならないし、そのためには偉くならなければならない。偉くなる気がなければ、社会人になる意味がない。とつづく流れには全く共感できないのです。まわりの多くが最近そういう。
個人的には、偉くなろうなんて全く思わない。偉くなることばかり考えていると、結局偉くなることが目標になってしまう気がしてならない。
世の中をより良くしよう、という考えはすばらしいけれど、それはかなり個人的な感覚に頼ったものであって、裏を返せば自分が世の中をつくる中での不都合や障害は排除しても構わないということにもなりかねないし、偉くなることは結局そのための権利のように思えてしまう。例えば飲み会での誰かの理想が共有されることだって難しいのに、それを世の中全体に広げるためにはやはり数多くの敵と闘わなければいけなくなるのは明らか。
ではそういうとき、自分はどうしたいのかを考える。今は、社会とのつきあい方を考えている。最も理想的なのは、無責任に社会とかかわりつつ、勝手なことをする生き方・・・(笑)
自分もそんなにいい人ではないから言ってしまうと、戦争が起こらない限り社会がどうなっても痛みはあっても切実さを感じないし、社会を力で変えるために労力を使う人間に自分がなる必要もない。一度しかない人生、先の準備よりも今しかできないことをしたいし、他人のこと、世の中のことよりも自分のことを考えたいというのが本音です。余裕がないのかも・・自分のこともはっきりしないで、社会がどうあるべきなんて論じてもしょうがない。
そして、こんな事を言っておきながらもそうはいかないことはわかっていて、会社ではしっかりしないと、とも思っているわけです。
結局、自分でも明確な答えは出せない、というか、この先のこと、人生が、そう明確なはずもなく、その議論の答えを探しながらこんなところに書いていくしかないのが現状です。

013 謝ったもん勝ち

さて、本当に夏休みも終わりです。こんな日にもサザエさんは放送されるのでしょうか。フ◯テレビ社員は半笑いでお茶の間にサザエさんを届けるのでしょうか。

気付けば、今日は65回目の終戦の日でした。
昔から、戦争に関しては思うところがあります。
広島や沖縄には何度か行ったこともあります。靖国神社もどんなもんじゃと見に行ったことがあります。この話は長くなります。またいつか。

うろ覚えですが、首相が併合時代から日本にあった韓国の貴重な資料を謝罪とともに変換したというニュースがありました。
しかし、このニュースに対する反応の中には、謝罪に対する批判も多々あったように思います。
「もう解決済みの問題だ」
本当にそうかな。と、思います。
戦争とは、リングに1対1で上がって闘うものではありません。国家というくくりはあるにせよ、直接何も関係ない人を憎み、全く対応しない報復を繰り返すものです。そんな状況に加害も被害もない。全ての自国の行為に、全ての国が責任を持たなければいけないと思います。
未だに原爆投下の正当性を犠牲者の数字で示すアメリカも、謝るという行為を避けています。
謝罪をしろ、という色々な立場からの声も、一旦落ち着いて考えるべきかと思います。
謝れ、謝ったなど、そんな口先だけの意地の張り合いは実に下らない。
必要なのは、今後続く世界の中での国のあり方、態度だと思います。
誰も謝らないならまず先に頭を下げてみればいい。

正しいことなんかはほとんどない。だからこそ潔く謝罪し合ったところから始める爽やかな関係が必要なのに、65年経っても世界はまだそれを築けずにいます。

そして、対外的な話をする前に、自国の問題として戦争論が全くまとまらない日本も、まだまだ一流ではないなと、残念ながら感じてしまいます。