25 つなぎですが

全然何も書いていなかったので何か書かないと・・と思いキーボードをたたいています。
二年目の宿命、膨大な仕事に忙殺され、そして物理的な忙しさよりも、若手故のスキル不足、追い討ちをかける締め切りに仕事のクオリティはどんどん下がり、メンタルが一番最初にやられてしまいそうです。
OJTってのは野放しにしてできる奴は伸びる、できないやつは知らんどっかいけという感じに思えます。
こうなると何となく過去のことばっかり考えるようになって、子供の頃の田舎暮らしが異常に懐かしくなったり、大学時代の同級生との語らいが止まらない状態になってしまいます。
会社でざっくばらんにはなせる人、というのも必要でしょうが、思っていることを話してしまうと会社の存在を全否定してしまう気もするし、残念ながら自分の話を真面目に聞いてくれて、期待した返答をくれる人、というのは大学の同級生くらいなのでは、と思ってしまいます。
大学の頃学んだ建築ってどこいった?というのをベタですが最近の議題として保持しています。会社は結局のところ設計をお客様第一のサービス業としか位置づけざるを得ないし、よく聞くものづくりが・・っていうのも結局は外界からの侵入、こちらからのアウトプットを遮断して、それのみで完結したクオリティの高い巨大な工業製品でもつくっていれば社会的には十二分だという戦略のようにも聞こえます。それは、第一主義ではなくて前提であって欲しいのですが、会社にそのような余裕がないのも問題です。そして、それ以上に、自分にはその前提をもクリアするスキルがないのが残念です。
今日のアド街は懐かしき二子玉川でした。開発によってできた街なので、再開発を否定すること自体少し矛盾な気がしますが、東京に来て6年間はよく通った街でした。それが7年目にガラリとかわってしまったのは、やはり不動産・建設関係者ではない視点として少し残念です。そしてそれが、自分の関わる業界としては、お客様である開発者からの要望を満足させるというかたちでしか降りてこないという事実も何とかならんか、と思います。一位に玉川高島屋SCが出たのはテレ東の心意気を感じました。これなしにはこの街は成立しないから。

こんな話をできる相手、やっぱり同じようなことを学んできた同級生だけかな、と思います。
さて、建築士試験まで2週間。受かれ受かれと言われますが、正直勉強時間が不足しているのは否めません。当たり前だろ。まあ、なるようになるさ、といきたいところですが、なんか色々複合要素で、不安です。

24 非日常生活

地震が起こってからもう二週間とちょっとになる。
会社の上層階で地震を体験し、帰宅困難者になり、12キロ歩いて深夜に帰宅した。まあそんなに距離はないが貴重な経験であったか。
帰宅するまでは、東北の津波に関してはすごいらしいというような情報しかなく、二週間経ちいまもふくらみ続ける犠牲者数、深刻化する原発事故など、歴史的災害になることなど頭になかった。
被災された方々にはお見舞い申し上げると同時に、この場では、自分の身の回りのことを中心にしか物事を解釈できないことをあらかじめお詫びしておく。ごめんなさい。

さて、14日のホワイトデー、驚いたのは電車がほとんど動いていなかったことである。幸いにも最寄りのJR駅は折り返し運転のターミナルになっていて、座っていつもどおりに出社できた。しかし、神奈川、埼玉、千葉方面の方々は基本的には出社できず、その日は夕方には帰宅することとなった。それ以降、その週は計画停電の開始のごたごたで終日仕事をする雰囲気ではなく、帰宅時間が早かった。22日からの週は、世の中が徐々に慣れはじめ、会社は普通に戻りはじめた。ただし、原発の影響が徐々に都内でもささやかれはじめて水は店から消え、というかガソリン不足だか何だか知らないがスーパーもコンビニも食料が少ない。

自分がみたtwittermixi、blogなどなどでは(災害時のネットの強さには正直驚いた。)、こんなときだからこそ頑張ろう!とか、経済を止めないようにしよう!という記述が目立った。それに対して、自分はどう思うかというと、果たしてそういうものかなぁと。卒業式の自粛、イベントの自粛は節電など言い訳で、要するに何となくそういう雰囲気ではないという判断、「不謹慎」と言われることへの恐れであって実にさみしいものである。かといって、11日の夜の帰宅する人たちの大行列、駅のパニック状態をみてののち、14日の朝、必死で会社に行こうとするものすごい数の人、仕事ができないと怒りながらインタビューに答える人をみてもなお、経済を!というがんばり屋精神には正直うんざりしてしまう。気分が乗らないなら少しくらい落ち込んだっていいし、会社に行く手段がないなら無理していかなくてもいいと思う。そういうのを責任という言葉で意味あることのようにして、結局行き着く先は消費生活のための消費なんていうのは本当にバカバカしいと思いませんか。

地震の後の東京を見てとにかく思ったことは、東京の経済、首都圏の人の日常生活も全て、とにかくあり得ないくらいの規模のものを成立させるために、あり得ないくらいの回転をさせていたということである。誰がみたってそう思うはずなのに、経済をまわすというようなことを言って必死こいて会社にエクストリーム出社する必要など本当にあろうか。経済をと言っているけれど実際自分の仕事がどうなるかわからないからマズいと思って出社した人が全体の大部分を占めていたのではないか。

これを機に経済のダウンサイジングができればいいのに、と思った。電車の本数が減って、街が暗くなって、コンビニは減って、お店ははやく閉まっても慣れる。会社の仕事も減ればいい。みんな早く帰ればいい。もっと質素に暮らせばいい。どうして日本の人たちは、世界から見ても異常なほどの物の充実、過剰な充実を当たり前だと思うようになってしまったのか。そう思った。

もう一つ。頑張ろう!という積極性は非常にすばらしいことだし、大いにやってもらって構わない。しかし、実際に何もできないひとが頑張ろう、ニッポンみたいなことを書いているのをみると、謎なナショナリズムの発生にみえてこういうのは気持ち悪い。一時的な高揚ではいけない。とにかくこう言う時こそ冷静に日常生活を見つめるべきで、その中で何かできることをすればいい。

・・一応、私日本大好きですからね。反日とかそういうのじゃないですよ。

こういうことを書いていると、ではなんで地方からきたお前が東京で生活しているんだ、地元戻れと自問してしまうけれど、そういったことは個人的には初めての都知事選にからめてでも書くとして、今回はこの辺で。

夏の停電、食品への影響など、いろいろあるかと思いますが、落ち着いていきたいところです。

23 心配性という生き方

実は誰にも言えない仕事上の問題を10月くらいからかかえていて、業務が忙しかろうが忙しくなかろうが、疲れまくっていたのはこのせい。言ってもまだ26。少しの睡眠不足でそんなに疲れたりしない。
さて、内容はコンプライアンス上の問題があるのでかけません!!
サラリーマン万歳!
今週は週明け早々その問題が発覚する会議

全然ミスってなかった

回復

昨日見直したらやっぱりミスってた

怒られる

やっぱり勘違いでした

なう

という心臓に悪い一週間。
しかし、元気になってこれを人に解禁したのだが、説明すればするほど、自分でもわかるくらい「何にも起こっていない」・・。
実際ミスをしていても良かったんじゃ?会社でのミスって自分の人生においてそんなに重要な問題か?などと色々浮かびます。

そう。私は心配性。

みなさんが私をいろいろほめてくださる場面もあるが、心苦しいのは、それは、だって心配性なんだよ!と言いたくなる場面がほとんどだということ。

今更ミスを恐れない人生に転換はできない。昨日も同級生と飲んだが、結局

「心配性はミスは少ないが得するわけではない」
という結論が出た。小物な私。

実は小学校1年生、今思い返せば最も尊敬できる先生と親の二者面談においてなされた「あの子は悪いことはせんが大物にはならん」という親もびっくりな予言はまさに現実であったということ。
その先生は早くして亡くなってしまったが、
「いや先生、あなたの言ったとおりの大人になってますよ」
と何となく微笑みたくなってしまう。

22 懐かしいってそんなにいいこと?

ピーターパンシンドロームっていう言葉があるが、まあ、大人になれない成人たちのことを悪い意味でくくったアレ。
草食系とかもちょっとうまいこと言ったと思いきや、言葉自体がもう暴走気味でなんか事あるごとに「最近の若いもんは」的な使われ方になっているからちょっとどうかと。

クレヨンしんちゃんの、オトナ帝国…をみた。二回目だが。
異常に涙もろい私は、ヒロシの回想シーンでオイオイ泣くのです。昔みた時とちがって、いまは最も自分に重なるような…。結婚して子が生まれて…ってなったらきっともっと。

多くの人が共感できる人生の契機をみて、自分も泣くということは、当たり前の人生を歩みつつあるということか。
気付いたら一番なりたくなかったサラリーマンになってるし。

現実の未来は醜いだけなのに!
それでもしんちゃんはオトナになりたい。

大人になるってことが妙にかっこいいことになってるけど、落ち着いて考えると、大人になると同時に社会に歩み寄り、迎合していく。それをかっこいいと思う人も…うんなるほど現実の未来は醜い。

それでもやっぱり子どもは大人になりたいんだから、大人は自分たちが思う以上に大人でなければならない。大人のいう大人程度ではなくて。そして過去を振り返ってはいかん、常に前をみろとかあるけれど、進歩とか成長とかあるけれど、そんな疲れた大人たちがたまには昔を思い出して感傷的になったっていいじゃないかともおもう。
当たり前の生活、当たり前の幸せを噛み締める人生、いいじゃないか。

でも、情景としていいと思うが、個人的にはまだ、これだけは受け入れきれていない26歳。

21 2011

あけましておめでとうございます。
つい先日総括をしたのに、もう同じ部屋、同じ場所でなんか気分を改めようとしています。不思議なものです。
今までは正月2日に東京に戻るなんてことはなかったので、まだ正月っぽい東京に来るのは初めてです。初めてバーゲンとかいっちゃう。
年末は初めて新幹線を使わずに、なんとなく特急あずさ、しなのを乗り継ぎ帰省してみました。

あずさ
途中停車駅で車掌さんが数人ホームにでて、わずかな時間で雪をつかんで楽しそうにしているのが印象的でした。平和です。
山梨ー長野は南アルプス付近に雪がありましたが快晴。塩尻にて乗り換え後、吹雪でやや雪国ちっくになりましたが、結局地元は雪あらず。ふっても小雪でした。県内でも雪の降らないエリアなので・・。ただし寒いです。東京の寒さなど、知れています。

やや雪国ちっく
実家ではゆっくりできました。しかし、休み短い。誰に言えばいいか知らんが、正月は5日くらいまで休みにして欲しい。
最終の新幹線で品川に着いて、京急で家に向かうのですが、何となく、春まで住んでいた場所に帰るような気がしてしまって、あぁ違うんだと思いました。
大井町線に乗って帰れば、学生時代のあの部屋がまだあって、ウチには掃除をほとんどしない妹がいて・・という気がするのですが、あの部屋にはもう別の人が住んでいるだろうし、妹は実家にいます。実家は実家でいろいろな変化がありました。
去年の変化は、いい意味では刺激であり、悪い意味では残酷なものだとも感じました。
今年一年、また色々なことが起こり、いろんな感情を抱くかと思いますが、それを自分の人生の中でうまいこと位置づけるというか、解釈していければいいなと思います。

2011年もよろしくお願いいたします。

さあ、いざ寝ん

20 今年の総括

今年も終わり。といっても実際仕事や学校は年度で動いているわけだし、しかも新入社員だから丸一年会社にもいないが、世の流れに便乗して何となく仕事も一年お疲れモード。12月は本当に繁忙期になって(ただし個人的に)、締め切りに終われ休日も一人オフィスて朝から晩まで仕事の日も。
そして代休も全部使えず今日28日だけ辛うじてお休みという運び。
なんとなく社会人になって、もう9ヶ月くらい経つのかと思うと、本当に速いなぁと。そして定番
、歳とるともっと速いぞ、というのも何回も聞いているので、それも本当なのだろう。

今年一年を振り返ると、ちょうど一年前は修論の末期で、いつも学校で何かしらやっていた。その頃の自分と比べると今の自分は本当に成長したなって思う!とか言うわけないじゃん。
生きていくことは汚れていくことです。
生きていくことは汚れていくことです。
大切なことだから2回言いました。吉行淳之介がエッセイで書いていた。大人になって急に気付き、これを糾弾する人を見ると、何十年も生きてきておいて、何を今更、と思うと。
サラリーマンになると思っていた以上に余裕がなくなり、ゆっくり本を読む時間もない。世の中の人たちは本当に必要かと思うくらいシビアに仕事をしている。結局施主のほとんどは自己満足と金額とのクロスポイントで建物を建てる。そんな現実を見ていると、学生の頃の建築って本当に何だったのか、とか、そもそも世にないものを学んでいたような気さえして来る。何か分けのわからないマナー(世の中には本当にくだらないマナーがあることも知った。)みたいな物を身につけたり、本当に生理的に無理な人と会話しなければいけなくもなる。
そういうことを知っていくこと、そしてそれで仕事がスムーズになることを成長とは言わないし、個人的には今この感覚、まだ学生のようなこの感覚がいとおしくってたまんない。
新入社員にして、もうすでに社会なんて結局こんなもんだな。と、期待の下方修正が起こらなかったことがせめてもの救いです。
あ、誤解のないように言っておくと、仕事なんかまだまだわかんないことだらけだし、会社では常にチワワのごとくふるえています。

でもね、これが現実なら、そんななかで必死に色々やっている人間達ってのはとってもかわいいもんだな、ともおもうのです。全部ひっくるめて世の中を肯定するとまた別の見え方もあるかもしれない。あまり細かいところを見てはいかん。どうもテレビを近くで見すぎて三原色の集まりしか見えなくて、離れてみたらめっちゃ面白い番組だった、的な。

ほらまた収束しないよ・・。こんな感じで悶々としております。今日も、あしたも、これから先もずっとこうでしょう。

そんな私をやさしく見守ってくださる皆様、今年1年本当にありがとうございました。
2011年の目標は、微分方程式を解けるようになることです。本気です。